連城三紀彦書誌遍歴-「SUN・SUN」を求めて


連城三紀彦氏の作品を読破したいと思い、書誌を作成した。デビューした頃は好きな作家のひとりだったのだが、恋愛小説に軸足を移してからは、縁遠くなっていた。ところが、叙述トリックを扱った幾つかの作品を再読したのがきっかけとなり、その気になった。
作品リストの作成は、大きくわけて以下の手順で行っている。系統立てて作成しているわけではないうえ、ほとんどが二次資料に寄っているため、洩れや誤りは多いと思われる。

1.著作に収録されている作品をリスト化する。
2.日本文藝家協会の「文芸年鑑」と突合せ、著作未収録作品の追加を行なう。
3.日外アソシエーツの「アンソロジー内容総覧」を参照し、アンソロジーのみ収録されている作品を補う。

企業をはじめとした各種団体のPR誌に掲載された作品が意外に多いのだが、PR誌掲載作品は著作かアンソロジーに収録された作品以外はほとんど把握できていない。そもそもPR誌はどうやって系統的に探索したらよいのだろうか。

「SUN・SUN」に掲載された掌編群の調査には難儀した。
文庫オリジナルの短編集である「一夜の櫛」「背中合わせ」「さざなみの家」に収録されているが、「一夜の櫛」を除き、巻末には個々の作品の初出誌は記載されていない。「文芸年鑑」には主要雑誌のリストが掲載されているが、そのなかには「SUN・SUN」は含まれていなかった。「雑誌新聞総かたろぐ」のバックナンバーを参照し、「SUN・SUN」が解脱会という宗教法人から発行されていることを知った。
「SUN・SUN」を閲覧するため、2002年11月下旬、国会図書館に出向く。
国会図書館には1992年春号以降のバックナンバーがあった。ここで1994年秋号までの「SUN・SUN」の正式誌名が「季刊SUN・SUN」であること。1994年秋号でいったん「季刊SUN・SUN」は休刊し、新たに1995年春号から「解脱増刊SUN・SUN」としてリニューアルしたことを知る。「解脱増刊SUN・SUN」には、「季刊SUN・SUN」の巻号は引き継がれておらず、まったく別の雑誌として再出発している。さらに「解脱増刊SUN・SUN」は2000年冬号には終刊している。
「解脱増刊SUN・SUN」掲載分の連城作品は「さざなみの家」に収録されているが、巻末にある初出誌の記載は「解脱増刊SUN・SUN」ではなく、「季刊SUN・SUN」とある。また、「卵のカラ」が「春のあとさき」の改題であることも確認した。

国会図書館には「解脱増刊SUN・SUN」はすべて揃っていたが、「季刊SUN・SUN」は1991年冬号以前のバックナンバーはなく、「背中合わせ」収録作品の一部しか初出誌を確認することができなかった。
そこで、宗教法人「解脱会」の出版部に連絡をとり、バックナンバーの閲覧をお願いした。解脱会出版部にお邪魔したのは、2002年12月上旬のことである。
あつかましいお願いだったにもかかわらず快く応じてくださった解脱会出版部様には感謝の念で一杯です。
解脱会出版部では「SUN・SUN」に掲載された連城三紀彦作品を著作未収録作品の五編を含めてすべて確認することができた。 連作としての総タイトルが、1984年秋号から1985年夏号までが「女たちの小景」、1985年秋号から1994年秋号までが「連城三紀彦の描く女たち」、掲載誌が「解脱増刊SUN・SUN」に代わった1995年春号から2000年冬号までが「連城三紀彦の世界」になっている。<
著作未収録作品のなかには1993年夏号に掲載された「まわり道」という作品があり、これは1989年春号に掲載され、「背中合わせ」に収録された作品とまったく同じタイトルであるが、内容は異なる作品である。同じ連作に含まれているふたつの作品で、同じタイトルのものがあるというのはかなり珍しいのではないだろうか(普通は重複しないように変更すると思うのだが、察するに、連城三紀彦氏はかなり大らかな性格なのではないだろうか)。
また、「一夜の櫛」に収録されている「季刊SUN・SUN」作品はほとんどが著作に記載されている初出年月が違っていた。「季刊SUN・SUN」は信者を対象としている雑誌であるため、初出誌データは連城氏から提供されたのではないかと推測されるが、そうだとすると、これも連城氏の大らかさを裏付ける内容である。
ところで、初出誌を確認した結果、「一夜の櫛」に収録されている「昔話」の初出誌が宙に浮いてしまった。解脱会にお邪魔する前から「一夜の櫛」に記載されている「昔話」初出号は、「背中合わせ」だと他の作品が掲載されていることになっており、疑問を抱いていた。実際に雑誌にあたってみて、「昔話」は「SUN・SUN」に掲載されていないことを確認した。考えてみると、「昔話」は他の「SUN・SUN」掲載作品に比べると、少し短めである。
「昔話」の初出誌については今のところ調べる手立てを思いつかない。書誌作成に着手する前は、現在活躍中の人気作家であるため、初出誌も簡単に判明すると思っていたのだが、不明点は尽きない。現在のところ、「SUN・SUN」以外に初出誌にはあたったのは「朝日新聞」の縮小版を参照したぐらいだが、調べれば誤りは他にもあるだろうと思う。連城三紀彦はいずれ全集が編纂される作家であると思われるが、完璧な書誌を期待したい。もちろん、当サイトでも調査は継続していくつもりであるが。

連城三紀彦氏が足掛け17年に渡って掌編を掲載し続けたのは、もともとお母さまが解脱会の熱心な信者であることが縁になっているという。連城氏は僧侶の血筋に生まれ、ご自身も浄土真宗の僧侶であるが、解脱会の教えは既存の宗教と共存する教えであるということをうかがった。お母さまは現在、お身体の具合が思わしくないため、ご長男で独身である連城氏が看病をなさっているそうである。
新作の発表もここ数年は、年に一度「オール読物」に短編を掲載しているだけであるのは、そのせいだろうか。
幻影城」廃刊後、約半年の沈黙を経て、連城氏は「オール読物」に「運命の八分休符」を掲載している。「幻影城」廃刊当時、栗本薫氏や泡坂妻夫氏のように外部の賞を受賞しているわけでもなく、著作も一冊しかなかった連城氏はそのまま埋もれてしまう可能性も皆無ではなかった。作家生命を存続させたのは「オール読物」であるのかもしれない。年一作の作品を「オール読物」に掲載しているのは、そうした縁もあるのだろうか。

連城三紀彦署名

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